2001/07/28
2001年07月28日付け朝日新聞朝刊掲載の社説「■靖国参拝――やはり、やめるべきだ」を読んで思ったこと。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
憲法の政教分離について
日本最古の民族信仰である神道の祭主である天皇は日本の象徴であり、それは日本国民の総意に基づいている。現在において天皇は様々な国事行為と関わり、その関わりは間接的で儀式的な関係である。儀式に権威を与えるのが宗教である以上、政治と宗教との関係において完全な分離などありえない。問題とされるべきはその関係の度合いである。そしてその国家儀式と関わる宗教が神道とされるのは日本国民の総意に基く選択である。
総理大臣の靖国参拝について
自国の為に戦死した方々に哀悼の意を捧げることは総理大臣たるものの道義的責務である。田中真紀子外相の「首相というポストの人が、なぜ、あえて行くのか。行かないでいただきたい」と言う発言
は間違っているかと思われる。つまり総理大臣であるがゆえに行かねばらないのである。隣国の反発があるならば政治生命を賭して行かなければならないのが、総理大臣としての務めである。その務めは自国の為に戦死した方々に対する最低限の礼儀を示すものであると同時に、その最低限の礼儀をも欠く者へ範を示すと言う意味でもあるはずである。
http://www.asahi.com/politics/update/0726/007.html
A級戦犯合祀について
そもそもA級戦犯とは敗戦国日本に対するみせしめとして行われた東京裁判に基づく。ゆえにそれを根拠とする参拝否定は納得いくはずがない。と言えば東京裁判が一方的だろうが、連合国の戦後処理を受け入れた事によって日本は、サンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰できたのだから、「東京裁判という政治的な手続きを、いまからひっくり返そうとするなら、相手方の同意がいる。」と反論される方々がいる。しかし一方彼等は日韓併合と言う日韓両国間における正当な法的手続きを不法といって認めたがらず、また1965年に締結された日韓基本条約における「両国民の間の請求権に関する問題が 完全かつ最終的に解決された」事を齟齬にする。確かに日本は連合国の戦後処理を受け入れた事によって国際社会に復帰できたのだが、A級戦犯の死後どのように慰霊するかまで連合国に口を挟まれてはいない。死後まで罪を与える法などあろうはずがないからである。ゆえにA級戦犯をどう慰霊するかは日本人によって当然判断されるべき話であり、「A級戦犯でも刑死した後は仏様になる」という小泉首相の発言は日本人の国民感情に合致するものである。
http://www.mainichi.co.jp/eye/shasetsu/200107/12-2.html
中国・韓国との関係について
「隣人に対する想像力を欠く言動は、国際社会での日本の対外信用を傷つけ、国益を損なう。首相には、そのことへの思慮がすっぽりと抜け落ちている。」と朝日新聞は説くが、「身内に対する配慮を欠く言動は、日本人の尊厳を傷つけ、その結果国益を損なう。朝日新聞には、そのことへの思慮がすっぽりと抜け落ちている。」と私は説きたい。国家とは国内と国外との関係の上に成り立つ。ゆえに成熟した国家は「成熟したバランス感覚」を有する。成熟した国家は過度な加害者意識や偽善でもって国益を損なわない。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国を見よ。彼等の外交は常に「冷徹な現実判断」に基づいている。隣国に対して妄想を膨らませ、過剰な関係性を期待するなど彼等にはありえない。期待する者は「だだっ子みたいに自分の考えに頑迷に固執する」朝日新聞のような「バランス感覚」を欠いた者だけである。
と、たかじんの胸いっぱいと言う番組を見つつ、朝日の社説を読んだ途端、興奮の余りついついパソコン開いて、知ったかかまして書き連ねてしまいましたが、ほんま朝日新聞はむかつくなぁ。と言いつつ、僕ん家は朝日新聞取っているのですが...